04で、声は文化の運び手だと言った。教える声、警告する声、群れをそろえる声。その文化は、群れが崩れるときにどうなるのか。

先に言うと、戻ってこない。正確には、体の数は戻るのに、知識は戻らない。崩壊のとき最初に失われるのは、個体の数ではなく、知識のほうだった。

知識には、教え手の数が要る

声の「語彙」は、生まれつき持っているものではない。子が大人から学んで受け継ぐ文化だ。複雑な知識ほど、保つのに手が要る。

教え手が足りないと、複雑なものから順に、作り直されないまま消えていく

ここでは、新しい装置は足さない。代わりに、測るものを足す。文化の項目それぞれに、保つのに必要な教え手の数を持たせる。残る条件は、ひとつの不等式になる。〈その項目を知る教え手の数〉≥〈必要な数〉。簡単な項目は少人数でも満たせるが、複雑な項目は、多くの教え手がいないと満たせない。下回れば、誰も学べず、そのまま消える。

function maintain(item, adults)
    # 項目を知っている教え手が足りなければ、誰も学べず、そのまま失われる(作り直しはしない)
    if count_who_know(item, adults) < item.teachers_needed
        item.alive = false
    end
    return item.alive
end

体は戻る、知識は戻らない

02の崩壊を、今度は知識の目で観察し直す。余地が詰まると、教える側が急に減る。体の数はしばらく残るし、混みが解ければ波のように回復もする。でも教え手は、それに追いつかない。

すると、複雑な文化の項目から順に、保つのに必要な教え手を割り込んで、消えていく。一度消えると、もう戻らない。誰も知らないものは、誰からも学べないから。

崩壊時に体は波のように戻るが、文化は段差で減って戻らない
崩壊のとき。体(グレー)は波のように戻るが、文化(赤)は段差で減って戻らない。教え手(オレンジ)も追いつかない。右はピーク比で、体45%・教え手20%・知識24%。

数字で見ると、はっきりする。余地が足りる群れは、文化を10のうち10保った。崩壊した群れは、生き延びても2.4しか残らない。ピークと比べると、体は45%戻ったのに、教え手は20%、知識は24%。体のほうが戻りやすく、知識のほうが先に死ぬ。

体が残っても、群れは空洞になる

ここで分かるのは、群れが「残っている」ことと、群れが「続いている」ことは違う、ということ。

外から数えれば、ネズミはまだいる。でも中では、次の世代に渡せるものが減っている。教え手が減り、知識が減り、その知識を持つ大人がさらに減る。体だけが残って、文化が抜けていく。崩壊は、空っぽになりながら、しばらく満員に見える。

声の文化が複雑なものから順に灰色になり、歌が静かになっていく
声の文化が、複雑なものから順に灰色になっていく。体はまだいるのに、歌が静かになる。

ここでいう「文化」は、本物のネズミがそこまで複雑なものを積み上げる、という主張ではない。複雑さが積み上がる文化は、このモデルが実際のネズミより一歩踏み込んだ部分。それでも、見えることはある。体の回復と、知識の喪失は、別の速さで進む。数が戻っても、知識は戻らないことがある。

知識が、生きた教え手と一緒に死ぬのなら、こう問える。知識を、教え手の外に置けないか。覚えている個体がいなくなっても残るように、どこかに書き留めたり、みんなで繰り返したりして保てないか。次の装置では、記録と儀礼を扱う。

補足

  1. 文化の複雑さと教え手: 複雑な技術や知識ほど、保つのに多くの使い手(実演者)が要る。人数がある数を下回ると、作り直されないまま失われる。人類学では Henrich らが論じた。タスマニアで道具技術が単純化した例が知られる。