概要
02で見たのは、資源が足りていても群れは壊れること、そして最初に崩れるのは数ではなく社会的能力の伝達だということだった。なら次に調べることは自然に決まる。切れた伝達を、何がつなぎ直すのか。
ここで試すのは、愛*だ。ただし感情ではない。非血縁の個体に、コストを払って助ける行動として扱う。社会的緩衝*・教育・共同育児・養子化を入れ、それが崩壊の臨界条件を変えるかを見る。非血縁への援助を入れると、崩壊しにくい条件は変わった。そして一番効いたのは、教えることだった。
愛を、行動として定義する
「愛は崩壊を防ぐか」は、そのままだと大きすぎる。愛という言葉は、感情も倫理も宗教も家族も献身も飲み込む。だからここでは小さく定義する。愛とは、非血縁の個体に、コストを払って助ける行動である。
自分を守ることは、愛と呼ばない。自分の子を守ることも、ここではベースラインに置く。親が子に投資するのは、包括適応度の範囲で説明がつくからだ。問題にしたいのは、その外側である。自分でも自分の子でもない個体を、自分の時間や繁殖機会を削ってまで助ける。それは群れの崩壊を防ぐのか。
打算だけでは、伝達は戻らない
まず、打算だけの条件を置く。個体は自分を守り、自分の子を育て、自分の繁殖を優先する。冷たい条件という意味ではない。多くの生物にとって、自然な基準である。
この条件でも、個体は生活環を持つ。性成熟し、縄張りを取り、求愛し、出産し、育て、子は成体から学ぶ。だが社会的役割が詰まると、02と同じことが起きる。有能な成体が減り、子が学べなくなり、学べない子は次の世代で教える側になれない。自分と自分の子だけを守っていても、群れ全体の伝達は戻らない。
愛の四つの行動
そこで、四つの行動を足した。
社会的緩衝は、孤立や高ストレスの個体に寄り添い、慢性ストレスによる損傷を弱める。教育は、有能な成体が若い個体の社会的能力を引き上げる。共同育児は、他個体の子の世話を分け、低い育児能力を補う。養子化は、保護を失った子を引き取り、発達の経路から落ちるのを防ぐ。
どれも、助ける側にコストを持たせた。時間を使い、自分の繁殖機会が少し削れる。個体にとっては、得とは限らない。それでも、群れにとっては得になるのか。
変えるのは、誰を助けるかだけ
同じ密閉環境、同じ餌と水、同じ物理装置を使う。変えるのは、誰を助けるかだけだ。打算条件では自分と自分の子だけを助ける。血縁利他*条件では血縁まで助ける。愛の条件では非血縁も助ける。
def will_help(self, other):
return other.is_my_child or other.is_kin or self.love_reaches_non_kin
助ける範囲が広がれば、子が学べる機会が増え、次世代の能力が残り、群れは崩壊しにくくなる。確認するのは、その差だ。非血縁への援助が効くなら、同じ装置でも絶滅しにくくなり、崩壊せずに維持するために必要な社会的役割の容量も小さくなるはずである。
愛は、臨界容量を下げる
本モデルでは、愛の条件は崩壊しにくくなった。打算条件が崩壊を免れるには、巣箱がおよそ32必要だった。血縁のみの条件も、ほぼ同じ臨界容量*に残った。だが非血縁も助ける条件では、その臨界容量がおよそ16箱まで下がった。同じ密閉環境を、より少ない社会的役割で維持できた。
16箱という厳しい条件では、差がはっきり出る。打算条件は高い確率で絶滅し、血縁のみの条件は中間、愛の条件は絶滅率がさらに下がった。
同じ小さい装置で並走させると、差はさらに見える。打算条件では個体数が増えたあとに生活環が詰まって崩壊し、愛の条件では同じ装置でも伝達が保たれて群れが残る。
一番効いたのは、教えること
四つの行動を、それぞれ単独でも調べた。共同育児はあまり効かず、養子化は中間、社会的緩衝はかなり絶滅率を下げた。そして一番効いたのは、教育だった。有能な成体が若い個体に社会的能力を渡す。この行動だけで、四つすべてを入れた条件よりも崩壊が抑えられた。
これは少し意外だ。普通なら、四つ全部を入れた方が強いと思える。だが狭い装置では、社会的緩衝が個体を長く生かし、かえって過密を維持してしまうことがある。助けることは、いつも単純な足し算にはならない。
教育だけが違うのは、崩壊の中心に直接触れるからだ。02で見たように、崩れるのは数ではなく伝達だった。なら、次世代へ社会的能力を渡す行動は、その断絶をまっすぐつなぎ直す。このモデルで、愛の中でもっとも効いたのは、次世代に教えることだった。
道徳の主張ではない
ここで見えているのは、道徳の主張ではない。愛があるから群れが救われる、という話ではない。むしろ逆だ。愛と呼んだ行動は、助ける側にコストを持つ。自分の繁殖を少し削り、時間を失う。個体だけを見れば、不利になりうる。
だが閉じた群れでは、他個体の失敗が、自分の環境として返ってくる。子が学べず、成体が有能でなくなり、教える側が減り、次の世代がさらに学べなくなる。その循環が始まると、自分だけを守ることは、長い目では自分が属する群れの伝達を壊す。非血縁を助ける行動は、その循環の一部を切る。とくに教育は、社会的能力を次の世代へ渡す経路を開き直す。
このモデルでは、愛は感情の名前ではなく、伝達を保つための行動だった。
限界
これは、現実のマウスや人間社会の直接の説明ではない。愛を四つの行動に、血縁を単純な関係に、コストを繁殖機会の低下に抽象化している。絶滅率や臨界容量は、有限回のシミュレーションから得たモデル内の値で、現実の予測ではない。
示したのは、ひとつの仮説だ。閉じた群れでは、非血縁へのコストある援助が社会的能力の伝達を保ち、崩壊の臨界条件を変えうる。このモデルは、それを動かせる形にした。
次へ
愛の中でもっとも効いたのは、教えることだった。だが、教えるには伝える手段がいる。
次は、その手段である声を扱う。マウスの声は命令ではなく、情動と文脈を運ぶ。世代を越えて何が渡され、何が渡されないのかを見る。
補足
- 愛: ここでは、非血縁個体に対してコストを払って助ける社会的保護行動を指す。感情や倫理の全体を意味しない。
- 社会的緩衝: 他個体の存在や接触によって、ストレス反応が弱まる現象。ここでは慢性的ストレスによる損傷を下げる行動として扱う。
- 血縁利他: 血縁個体を助ける行動。Hamilton の血縁淘汰の考え方と関係する。
- 臨界容量: 群れが崩壊しにくくなるために必要な、社会的役割の最小容量。ここでの値はモデル内の値であり、現実の推定値ではない。